私がログハウスを始めた理由
私が21歳の6月、北米大陸最高峰マッキンリー山(標高6194 m)からスキーでの滑降に挑戦する時、入山許可の手続きなどをするデナリ国立公園管理事務所(レンジャーステーション)が、ログハウスでした。
実は、私は全くの登山素人で、マッキンリーに行くと決まるまでは、地元の磐梯山(標高1819 m)しか登山経験がなかったのです。
当時の地元の新聞には、「登山歴ゼロの青年、マッキンリー滑降に挑戦」と書かれたほどです。
その、未知の世界に向かう私のどうしようもない緊張とプレッシャーを解きほぐしててくれたのがそのログハウスでした。
誰もが、頂上からの滑降はもちろん、頂上にたどり着くのも無理だろうと思っていた中、その期待を裏切り、ログハウスのおかげ?で、マッキンリーの山頂から日本人で初めてという完全滑降の快挙を成し遂げることが出来たのです。
現実離れしたマッキンリーの雄大な自然は勿論ですが、そのログハウスは、今でも、深く印象に残っています。
マッキンリーの経験で、人生観がいっぺんに変わり、今まで、人生の目標も無く過ごしていた自分が嘘のように変わりました。
しかし、人生とは分からないものです。
同じ年の忘れもしない8月18日、造園土木業を営んでいた父が、仕事中にパワーショベルの下敷きになるという大事故に見舞われてしまったのです。
なんとか一命は取りとめたものの、頸椎を損傷しており、胸から下と両手がほとんど麻痺するという24時間介護が必要な後遺症が残ってしまいました。
「良くて車イス、悪くて寝たきりの生活です。」
と宣告された時のショックは今でも忘れられません。
しかも、父は保険が嫌いで、ほとんど保険に入っておらず、代表者の為の労災保険にも加入していなかったのです。
更に、会社の借金も数千万残っていました。
21歳の私は、目の前が真っ暗になりました。
まさに、この一年は天国から地獄でした。
しかし、その不安を消し去り、希望を与えてくれたのが、またしてもログハウスでした。
「父が退院してきたら車イスで不自由しない家を、マッキンリーで見たログハウスと同じ家を自分で建てる。」
という当時、建築の経験も知識もゼロの自分にとっては、マッキンリー挑戦と同じくらい大きな目標が出来たのです。
父の事故の次の日から、不眠不休で働きました。周りの沢山の人たちも、何も分からない若造を応援してくれました。
父の残した仕事を、本当に沢山の方々の応援で無事に片付け、先祖様から代々受け継いだ家や田畑を売り、ログハウスを建てる資金をかき集め、23歳の時、多くの友人達の協力を得て、試行錯誤しながら建てた角材を積み上げただけの隙間だらけの今だに未完成の自宅のログハウスが、グリーンライフの第1歩なのです。
あれからいろんな人との出会いと協力があったおかげで、今日のグリーンライフがあります。
これからも、私に、夢と希望を与えてくれたログハウスと力を与えていただいた多くの方々に感謝し、初心を忘れることなく、人々に感動と安らぎを与えることが出来る住空間を創造するようスタッフ一同、チームワークと、人との出会いを大事にし、事業を邁進していきたいと思います。
追伸:長く生きて10年と言われた父も今年で、事故後20年を迎えましたがおかげさまで健在です。
これもログハウスのおかげでしょうか・・・
株式会社グリーンライフ
代表取締役 長谷川真児
